2014年10月11日土曜日

あの話の悲しみ①

遠い記憶の中に生きる生物


亀



亀は万年。



100世紀。

私が一生懸命長生きして、100年。それが100回!どんなに長生きすれば私は亀になれるのか?

そもそも亀になりたいのか?

いいや、私は人間で良い。

しかし、万年生きれずとも、少し長生きしてみたい。


鶴は千年。


10世紀。

私が一生懸命長生きして、100年。それが10回!どんなに長生きすれば私は鶴になれるのか?

そもそも鶴にはなりたいのか?

いいや、私は人間で良い。

しかし、千年生きれずとも、少し長生きしてみたい。

いま私、30代。


30年。

私が一生懸命生きてきたつもりの、30年。それはたったの1回!


そもそも私はどんな自分になりたいのか?

長く生きると言う事。


生き続けると言う事は、未来がどんどん短くなると言う事。

人間は最大100年生きるとして、私は残り70年。これが亀なら・・・

9970年。膨大な時間。

私が50歳を超えたとき、未来に対して記憶の方が大きくなってくる。

一万年生きると言う事は過酷だ。


私には30年の記憶だけでもだいぶ大変な事でした。
未来70年。どんな事があるのかも解らない。

もし亀なら、未来9970年。未来が長すぎて、過酷だ。

1000年生きた時点で、その記憶は1000年分。その先9000年。

過去も、未来も長すぎる。
重すぎる過去に、先の見えない未来。

100年でも過酷な人生。
千年、万年。生き続ける事は過酷だ。

長寿の象徴として、

彼らはいるわけではない。
長く生きる事が必ずしも重要ではないと言うメッセージなのであろう。

短い人生であったとしても、太く生きる重要性を彼らは伝えてくれているのだろう。


鶴は80年、亀は180年が最大値らしい。


驚くべき長寿という衣を着た彼らは、世間に知られた命よりも短命な自らを嘆き死んでいくのだろうか。


言葉の中に秘められた本当の悲しみ。

あなたには届きましたか?

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